胡桃 はじまりをはじめた 早舩煙雨
(自由律俳句『青穂』2025年5月号 no.56 掲載5句より抜粋)
早舩煙雨(Twitter: @ennu_hayafune): Haiku and notes, 自由律俳句
「水性」10句 早舩煙雨 ※一部抜粋
救急の窓にそろそろ水母来よ
- a window in the emergency room
come quickly, jellyfish!
- 急診的窗戶
水母快點過來
(俳句短歌誌『We』第19号 2025年3月 掲載作品より)
※英訳、中文繁体字訳は誌面には掲載無し
沢蟹や土は知ってる気がしてる
沢蟹や水は知らない気がしてる
沢蟹や元々こうだった気がしてる
沢 そんな気がするだけであったとして
(俳句短歌誌『We』第18号 2024年9月 掲載作品より)
上野ちづこの句集『黄金郷』(深夜叢書社、1990年)は、いわゆる自由律俳句を多く含んだ句集である。下記にいくつか挙げてみる。
ねがはれてある 嫋々と海鳴り
瞼から黴る 未明
沼には沼の風 切株になるわたし
電光あはれ 何故くの字なる
ただ、句集内の俳論においても、江里昭彦氏などとのシンポジウムにおいても、ご自身の句が自由律俳句であるとはっきり述べている部分は見当たらず(見逃しているかもしれないが)、「俳句」という言い方が専らだ。
「難解だとの一言で、句評から一蹴されていることに、私はフラストレーションを感じてきているのだ。」(p108)
「情念を定型化・・(中略)・・私はそういうのだけは、絶対避けたい。」(p175~176)
俳句(短詩)が自由であるべきという信念と、それを分かって欲しいという願いが、「自由律」という言葉が付いていないシンプルな「俳句」として提示していた理由かもしれない。
句集には定型寄りの句も多く有る。
神無月に女いちにん偸みけり
精薄の弟に植える枇杷の種子
玩具犬(トイプードル)そこだけ断層湖となる空間
生死逃るべからず楕円渺々
深海魚の眼になって見る雨の森
少年の腰細すぎる 夏昏るる
読んでいて、とても自由を感じる句集であった。
※なお、上野千鶴子氏の学者としての思想については様々な評価があるようですが、私はその辺りについては門外漢の為、あくまで俳句作品のみに興味があって読んでおります。
また別件ではあるが、『文学を社会学する』(朝日新聞社、2000年)において、沼尻陽三郎氏の自由律俳句である「かげもめだか」(層雲第九句集『一人一境』に掲載)が誤って種田山頭火の句として紹介されてしまっていたとのことであった。その誤りについて、自由律俳句結社「青穂」(私も所属している結社)の小山貴子代表からの指摘にて判明したという経緯が、上野千鶴子氏ご自身の下記のブログに記載されている。
●放哉と山頭火、そして陽三郎 ちづこのブログNo.105(2016.09.01 Thu)
https://wan.or.jp/article/show/6696
私が購入した『文学を社会学する』第四刷(2001年)の中にも、確かに種田山頭火の句として「かげもめだか」があると記載されたままだったので、もしもご興味があって読まれる方は、その点ご注意ください。
加藤知子 句集『情死一擲』より
特に戦争に関する句群には、紙や文字から熱が湧き上がってくるような感覚があった。
冬銀河輪投げのように逝くことも
すいかずら諸手をあげて椅子を捨つ
ひとだまの匂い葡萄を吸うしぐさ
小春日や事あいまいに逢いましょう
冷戦年表継ぎ足す乳房重かりし
人間を狩る冷蔵庫灯るべし
首筋に情死一擲の白百合
夕薄暑どの風向きも異教なる
白百合の背骨重低音に疼く
魂洗う水の繊きに雁渡
一色ずつ虹をはがせば火傷痕
雪山の頭が解けて母のどこが母
神さびの白菜二枚剝ぐ防人